お灸事典

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松永久秀
まつなが ひさひで
お灸で養生し、武将の誇りを貫いた
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お灸で養生し、武将の誇りを貫いた

松永久秀とは

2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』に登場する戦国武将・松永久秀(まつなが ひさひで/1508~1577)。戦国時代から安土桃山時代にかけて、大和国(現在の奈良県)を中心に勢力を広げた戦国大名です。

平蜘蛛の茶釜とともに、命を散らす松永久秀
「太平記英勇伝」「十四」「松永弾正久秀」
東京都立中央図書館所蔵

信貴山

はじめは三好長慶(みよし ながよし)に仕え、政治や軍事の面で頭角を現し、やがて大和国を支配するほどの実力者となりました。その後、織田信長に従いますが、のちに反旗を翻し、天正5年(1577年)、信貴山城で最期を迎えました。

また、当時を代表する医師・曲直瀬道三(まなせ どうさん)とも親交があり、医術や学問を通じて交流を深めたとされています。

茶の湯を好む文化人としても知られ、名物茶器「古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)」を所有していました。最期には、信長が欲しがったというこの茶釜を打ち壊したとの逸話も残されています。

平蜘蛛の茶釜とともに、命を散らす松永久秀
「芳年武者旡類」「弾正忠松永久秀」
東京都立中央図書館所蔵

『備前老人物語』岡山県立図書館所蔵

日々お灸で養生していた

久秀は、中風(ちゅうふう)を防ぐため、毎日時間を決めて頭の上にお灸を据えていたと伝えられています。
中風とは、脳卒中などによって起こる、半身のまひや手足が自由に動かなくなる状態のこと。

戦国の世を生きる久秀にとって、お灸は日々の体調を整え、いざという時に備えるための「養生」のひとつだったのでしょう。

戦国武将にとっての養生

いつ戦が起こるかわからない戦国の世では、武将にとって自らの身体を整えておくことも、大切な備えのひとつでした。
久秀がお灸を日々の習慣としていたという逸話からは、お灸が特別な時だけのものではなく、日頃から身体をいたわる「養生」として用いられていたことがうかがえます。
そして久秀は、人生の最期を迎える時にも、いつもと変わらずお灸を据えたと伝えられています。

“名を惜しむ勇士は、死に際の養生こそ、心がけるものなり”
松永久秀が最期を迎える際に語ったと伝えられる言葉です。
「名誉を大切にする武士であるならば、死を目前にした時こそ、最期まで心を配るものだ」という意味が込められています。

『繪本豐臣勲功記』(国文学研究資料館所蔵)
出典: 国書データベース



平蜘蛛の茶釜とともに、命を散らす松永久秀
『繪本豐臣勲功記』(国文学研究資料館所蔵)
出典: 国書データベース

信貴山城で最期を迎えようとしていた久秀は、その時にもお灸を据えたといいます。もし中風を起こして身体が自由に動かなくなれば、「死を恐れて臆した」と思われ、武士としての名誉を損なってしまう。そう考えた久秀は、死を目前にしても、いつも通りお灸を据えたと伝えられています。
最期の瞬間まで自らの武名を重んじた久秀。その覚悟を物語る印象的な逸話です。

まとめ
松永久秀にとって、お灸は日々の養生だけでなく、武将としての誇りを守るためにも欠かせないものでした。最期の時までお灸を据えたという逸話からは、戦国武将とお灸との深い関わりをうかがい知ることができます。

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