お灸事典

世界史

炙艾図
きゅうがいず
800年前の中国のお灸風景
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『炙艾図(きゅうがいず)』とは

『炙艾図』は、中国・宋代の画家、李唐(りとう)が描いたと伝えられる絵画です。

民間医師「走方医(そうほうい)」が、患者にお灸をすえる場面が描かれています。走方医とは、特定の場所に診療所を構えるのではなく、村や町をめぐりながら人々の治療を行っていた医師のこと。中国で古くからお灸が人々の暮らしに根づいていたことを今に伝える、貴重な作品です。

現在は、世界四大博物館のひとつとも称される、台湾・台北市の国立故宮博物院(こくりつこきゅうはくぶついん)に所蔵されています。中国の歴代王朝に伝わる貴重な美術品や文化財を数多く収蔵する博物館です。

『炙艾図』に描かれたお灸

『炙艾図』でひときわ目を引くのが、お灸の治療を受けている男性の姿です。

背中をあらわにした男性は、大きく口を開け、何かを訴えているような表情を浮かべています。その周りには、男性の体を支える3人の姿。足や腕、肩を押さえながら、男性が動かないように支えています。

一方、治療を行う医師は落ち着いた様子。髪に医療器具を挿し、男性の背中に火のついたもぐさを近づけ、お灸をすえようとしています。

医師のそばには、膏薬(こうやく)ののぼりを背負った助手の姿も。薬に息を吹きかけながら、次の手当ての準備を進めています。

表情豊かな患者と、その周りで治療を手助けする人々。一人ひとりの表情やしぐさが細やかに描かれ、どこかユーモラスな雰囲気も感じられます。当時の治療の場面を目の前で見ているかのような、臨場感あふれる作品です。

『万壑松風図』國立故宮博物院 所蔵

宋代の画家・李唐(りとう)とは

李唐(りとう/1049年頃~1130年以降)は、中国の北宋末期から南宋初期にかけて活躍した著名な画家です。

山や川などの自然を雄大に描いた山水画を得意とする一方、人々の暮らしや風俗を題材にした人物画も手がけました。力強い筆づかいと写実的な表現が特徴で、南宋時代の絵画の発展に大きな影響を与えた画家として知られています。

代表作には、険しい山々と松林を描いた『万壑松風図(ばんがくしょうふうず)』をはじめ、日本で国宝に指定されている『山水図(さんすいず)』や、歴史上の人物を描いた『採薇図(さいびず)』などがあります。

まとめ

『炙艾図』には、お灸を受ける患者や治療を行う医師、その周りの人々の姿が生き生きと描かれています。中国の北宋末期から南宋初期にかけての時代に、お灸が人々の暮らしに根づいていたことを今に伝える、貴重な作品です。

『炙艾図』國立故宮博物院 所蔵

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荊楚歳時記
けいそさいじき
古代中国の季節行事や風習などを月ごとに記した書物
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『荊楚歳時記(けいそさいじき)』とは

『荊楚歳時記』は、今の中国・湖北省や湖南省にあたる荊楚(けいそ)と呼ばれる地域で行われていた春夏秋冬の行事や風習、祭り、季節ごとの食べものから薬草の使い方、人々の暮らしと自然との関わりまで1年間を1ヶ月ごとに記した書物。6世紀ごろ、宗懍(そうりん)によって著され、中国ではじめて「歳時記」という言葉が使われた書物といわれています。

奈良時代に伝わった『荊楚歳時記』

日本には奈良時代ごろに伝わり、中国の年中行事や風習が、当時の日本の宮廷文化に影響を与え、やがて日本独自の季節行事として発展してきたといわれています。その中でも、特に影響が大きかったのが、年に5回ある季節の節目の日に行われる伝統行事「五節句(ごせっく)」で、今でも私たちの暮らしの中にしっかりと受け継がれています。

五節句とは、1月7日一年の健康を祈って、おかゆを食べる「七草がゆ」、3月3日女の子の健やかな成長を願い祝う「桃の節句(ひなまつり)」、5月5日男の子の成長を祝う「こどもの日」、7月7日の織姫と彦星の伝説「七夕」、現在はあまり知られていませんが9月9日菊を用いて長寿を願う「菊の節句」のこと。

そして、『荊楚歳時記』には、五節句以外にもお灸の原料「よもぎ」や、お灸に関する記述も登場します。

五月五日 よもぎの人形(ひとがた)を門戸に懸げる

『荊楚歳時記』には、5月5日の風習として、「よもぎ」を束ねたものを家の門戸にかけることが記されています。この風習は、「よもぎ」のもつ強い香りや薬効によって、邪気や災いをはらう魔除けの力があると信じられていたのです。

八月一日 小児に天灸(てんきゅう)を施し、眼明襄(がんめいじょう)を為る

『荊楚歳時記』には、今ではあまり知られていない、カラダを整える伝統的な知恵がたくさん登場します。そのひとつが、8月1日に子どもに行われていた「天灸」です。子どもの額に朱墨と呼ばれる赤い墨を使って印をつけていました。朱色は古くから魔除けの色とされ、印をつけていたのはツボとされる場所でした。

この赤い印が「天灸(てんきゅう)」と呼ばれ、健康を願い、病気や邪気をはらうと信じられていたのです。

また、人々は、綿や糸で目がよくなりますようにと願いをこめたお守り「眼明襄(がんめいじょう)」を作り、お互いに贈り合っていたようです。

『荊楚歳時記』に記された風習には、季節のうつろいに寄り添いながら、心と身体を整えてきた先人の知恵が息づいています。「よもぎ」のかざりや「天灸」も、そのひとつ。先人たちの知恵から学びながら、昔の人たちが大切にしてきた日々の養生を、これからの暮らしにも取り入れていきたいと思います。

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『黄帝内経』
こうていだいけい
東洋医学のバイブル
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“上古の人は皆100歳まで生き、
しかも動作も衰えなかったと聞いているなぜ?”


『黄帝内経』のなりたち

東洋医学の原点というべき書『黄帝内経』は、中国を統治した最初の帝 黄帝(こうてい)が、師である岐伯(きはく)をはじめ6人の医者との健康、病気、鍼灸、日常生活などを問答形式で展開しています。

そして語り継がれたこの問答は、紀元前200年頃に中国古代医学を体系的に構成『黄帝内経』としてまとめられました。

『黄帝内経 素問・霊枢』

『黄帝内経』は、生理、病理、衛生など基礎医学理論の『素問(そもん)』と経絡、経穴など鍼灸をはじめとした治療について記された『霊枢(れいすう)』からなっていると考えられています。

『霊枢』には『黄帝内経』以前には、点として存在していた経穴を線として考え、経絡として互いにつながっているという視点でとらえています。

2000年前にほぼ確立されたと言われ、その内容は今の時代にもつづいているのです。

養生とは

そして、『黄帝内経』にはいかに健康に生きるかの養生の知恵もつまっています。

養生とは、人間と自然との調和。

四季の気象の変化に適切に順応し、熱さ寒さにも上手に適応する。

喜怒哀楽の感情を動かさないようにして、日常生活を安穏に過ごす。

調和のある生活をつづけることで病の原因となる不正な邪気もやってこず、健康で長寿を保つことができるといわれています。

今、養生の基本とされているすべてがこの『黄帝内経』には記されているのです。

2000年という時をこえ国をこえて、広く人々の健康を支えつづける『黄帝内経』は今も、東洋医学のバイブルと言われているのです。

家本誠一 著、黄帝内経 素問訳注 第1巻、医道の日本社、2009年2月、564P

家本誠一 著、黄帝内経 霊枢訳注 第1巻、医道の日本社、2008年4月、463P

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お灸を愛した偉人

NEW
皇甫謐
こうほひつ
鍼灸の知識を後世へつないだ
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鍼灸の知識を後世へつないだ

皇甫謐 (Wikimedia Commons)

皇甫謐とは

皇甫謐(こうほひつ/215年~282年)は、中国の三国時代から西晋の時代に活躍した学者・医学者でもあり、歴史学者でもありました。後漢の時代に活躍した有名な武将・皇甫嵩(こうほすう)のひ孫にあたります。

皇甫謐は役人になる道を選ばず、学問や書物を書くことに生涯をささげました。食事や睡眠を忘れるほど読書に夢中になり、その熱心さから「書淫(しょいん)」と呼ばれたと伝えられています。

40代のころには「風疾(ふうしつ)」と呼ばれる病を患い、右半身が思うように動かなくなったほか、耳が聞こえにくくなるなど、長く病に悩まされました。

こうした自身の経験をきっかけに医学への関心を深め、病と向き合いながら医学を学び続けたといわれています。

『鍼灸甲乙経』とは

皇甫謐が医学を学ぶなかでまとめたのが、『鍼灸甲乙経(しんきゅうこうおつきょう)』です。

中国・西晋の時代に成立した全12巻の医学書で、当時伝わっていた『素問(そもん)』『鍼経(しんきょう)』『明堂孔穴鍼灸治要(めいどうこうけつしんきゅうちよう)』などをもとに、鍼灸に関するさまざまな知識を整理しました。

カラダをめぐる経脈やツボの位置、そのツボが用いられるカラダの状態、お灸や鍼による治療法などが詳しく記されています。

『鍼灸甲乙経 12巻』(京都大学附属図書館所蔵)

なかでも興味深いのが、お灸についての記述です。さまざまなカラダの状態に対して、どのツボにお灸を用いるのかが記され、ツボによってはお灸を何壮行うかについても記されています。今からおよそ1700年前には、すでにツボとお灸についての知識が整理されていたことがわかります。

また、ツボの位置や名前についてもまとめられており、後の時代に鍼灸の知識を伝えていくうえで大切な役割を果たしました。

その影響は中国だけにとどまらず、日本にも及びました。701年に制定された「大宝律令」の医療制度では、医師を育てるために学ぶ書物のひとつとして『鍼灸甲乙経(しんきゅうこうおつけい)』が取り入れられたとされています。

後世に伝えた数々の書物

皇甫謐は医学だけでなく、歴史や人物についても研究し、多くの書物を残しました。

歴代の帝王についてまとめた『歴代帝王世紀(ていおうせいき)』をはじめ、世俗を離れて生きた人物を紹介した『高士伝(こうしでん)』や『逸士伝(いっしでん)』、女性たちの生き方を記した『列女伝(れつじょでん)』、自身の文章をまとめた『玄晏先生集(げんあんせんせいしゅう)』などを著したとされています。

医学から歴史、文学まで幅広い分野で学問を深めた皇甫謐。その知識を数々の書物として後世へ伝えた人物として、今もその名が残されています。

まとめ

皇甫謐がまとめた鍼灸の知識は、長い時を経て日本にも伝わりました。今も親しまれているお灸。その歴史の礎を築いた人物のひとりが、皇甫謐なのです。

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中国・戦国時代に活躍した思想家
孟子
もうし
お灸の原料「もぐさ」のことわざを残した
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お灸の原料「もぐさ」のことわざを残した

2500年をこえて伝わることば

孟子(もうし)は、中国・戦国時代を代表する儒学の思想家です。儒教の開祖・孔子(こうし)の教えを受け継ぎ、その思想をさらに発展させました。
人は生まれながらに善の心をもっているとする「性善説(せいぜんせつ)」を唱え、人の本質に光を当てる考え方を広めました。
また、「多少の違いはあっても、本質は変わらない、似たり寄ったりであること」という意味のことわざ「五十歩百歩」は、現代でもよく知られ、使われている孟子の言葉のひとつです。

宋朱熹撰『孟子集註7卷』六、七,寛永9重刊. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11892673 (参照 2025-07-25)

孟子(Wikimedia Commons)

“七年の病に三年の艾(もぐさ)を求む”

このことわざは、孟子の教えや言葉、逸話をまとめた書物『孟子』に登場します。

お灸の原料である「もぐさ」をたとえに使った、昔から伝わることわざです。

七年もの長い病気にかかってから、三年もかけて乾燥させる上質なもぐさを求めようとするように、困ってから慌てても間に合わないという意味です。 ふだんから準備しておくことの大切さを教えてくれることわざです。

“時ならざるは、食わず”

季節に合わないものは口にしない。

この言葉は、孟子が思想を受け継いだ孔子とその弟子たちの言葉を記した書『論語』に残されています。

旬の食べ物には、その季節に必要な栄養が備わっており、からだが自然と受け入れられるもの。こうした考え方は、古くから伝わる「養生の基本」でもありました。

『宋 高宗書孝経 馬和之絵図』国立故宮博物院 所蔵

『家康公肖像』,[江戸時代] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2542434 (参照 2025-07-25)

この教えを、日々の暮らしの中で実践していたといわれる人物のひとりが、徳川家康です。天下人として知られる一方で、徹底した健康管理を行っていた養生の達人でもありました。

たとえば家康は、旬を外れた食材には極力手を出さず、自然のめぐりにそった旬の食生活を大切にしていたと伝えられています。当時の平均寿命を大きく上回る、彼の長寿を支えた理由のひとつだったのかもしれません。

孟子の思想が2500年をこえて今も読み継がれているように、お灸もまた、時代を越えて今もなお、人々の暮らしの中で受け継がれています。

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ドイツ人医師・博物学者
シーボルト
しーぼると
ヨーロッパに鍼灸を広める
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ヨーロッパに鍼灸を広める

“私個人の観察によると、日本ではこの方法が一般に用いられている”

この言葉は、日本研究の先駆者だったドイツ医師・シーボルトが、自著『Nippon』で鍼灸について紹介した時の一文です。

江戸時代後期に来日し、長崎で医学や生物学を伝えたドイツ医師のシーボルト。
彼は日本に近代西洋医学を日本に伝えるとともに、科学的な視点で日本の文化や自然などを調査し、ヨーロッパに日本を広く紹介したことで知られています。

シーボルトは意欲的にさまざまな日本の文化や社会について調査を行うなか、門弟たちとともに長崎・出島に植物園を作りました。

シーボルトは当時、ヨーロッパに東洋の生薬を導入することも考えていたといわれたことから、園には多くの薬草を含む植物が1400種類以上を植栽。日本の民間療法に用いられた薬草類の資料として、“もぐさ”に関しての記載も残されています。

また、幕府鍼科医師だった石坂宗哲(いしざか そうてつ)とは、東西の医学を通して交流を図り、協力関係を築いていました。

石坂はシーボルトの帰郷時に『鍼灸知要一言(しんきゅうちよういちげん)』をはじめ、『九鍼之図説大略(きゅうしんのずせつたいりゃく)』『灸法略説(きゅうほうりゃくせつ)』『鍼灸説約(しんきゅうせつやく)』といった鍼灸学に関する本を献上。

その後、シーボルトは20年余をかけ、膨大な日本研究を『Nippon』『日本植物誌』『日本動物誌』として出版しました。

そして、『Nippon』の第2巻・第4編には鍼灸医学についての解説をはじめ、「艾の効用について」という題名で灸法の論文を紹介しています。

生涯を日本研究に捧げたシーボルトに、日本の伝統医学だった鍼灸が与えた影響は計り知れません。そして、彼の功績により鍼灸が世界に認知されるきっかけとなりました。

シーボルト肖像画(キヨソネ筆):シーボルト 記念館 提供

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