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2024.03.13

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「和歌の浦」


和歌山県や和歌山市の地名に「和歌」の文字が入っているのは、和歌山川の川口に広がる景勝の地「和歌の浦」がそのルーツ。

万葉の時代からその景色の美しさで、海のない大宮人(おおみやびと)注1の憧れの地として知られていた「和歌の浦」は、万葉集を代表する歌人 山部赤人などによって、数多くの歌が詠まれたことで、一層人気の土地となっていたのです。

なかでも、山部赤人の「若の浦に潮満ち来れば潟(かた)をなみ葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る」は、当時の地名「若の浦」に潮が満ちてきて、干潟が波に姿を消しはじめると、鶴たちが葦辺を目指して飛びたってゆく様子を詠んだ歌。
潮の干満によって、その時どき、表情を変える豊かな自然の営みを詠みあげた歴史的な名句です。

やがて、紀貫之によって、『古今和歌集』にもこの歌が取り上げられ、万葉の名歌を生んだ土地ということで和歌の浦は「和歌の聖地」と呼ばれるようになり、地名も「若」の浦から「和歌」の浦と記されるようになったのです。

「和歌の浦」は、約47ヘクタールという日本でも有数の広さを持つ干潟です。景観もさることながらアサリなどの貝類も多く、潮干狩りで知られた海でした。
しかし、近年、環境の変化などでアサリが激減してしまったため、潮干狩りも今では中止になっています。

現在、市をあげて、この歴史の海を守る活動が続いています。
地元の小学校では、漁協などの指導でアサリの稚貝を竹筒に入れて海に沈め、稚貝の天敵である貝や魚などから守り育てる活動も続けられています。

最近の話題は、「和歌の浦」の西の端にある雑賀崎が注目を集めています。
雑賀崎漁港にひしめくように立ち並ぶ家々の静かな海面に映る景色が、海辺の景勝の地として、世界遺産にも登録されているイタリアのアマルフィ海岸の美しさに重ねられて、今では「日本のアマルフィ」と呼ばれています。
そして、イタリアのアマルフィ市との交流もはじまっているのです。

注1
大宮人(おおみやびと)
宮中に仕える役人、公家(くげ)

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