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皇甫謐
こうほひつ
鍼灸の知識を後世へつないだ
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鍼灸の知識を後世へつないだ

皇甫謐 (Wikimedia Commons)

皇甫謐とは

皇甫謐(こうほひつ/215年~282年)は、中国の三国時代から西晋の時代に活躍した学者・医学者でもあり、歴史学者でもありました。後漢の時代に活躍した有名な武将・皇甫嵩(こうほすう)のひ孫にあたります。

皇甫謐は役人になる道を選ばず、学問や書物を書くことに生涯をささげました。食事や睡眠を忘れるほど読書に夢中になり、その熱心さから「書淫(しょいん)」と呼ばれたと伝えられています。

40代のころには「風疾(ふうしつ)」と呼ばれる病を患い、右半身が思うように動かなくなったほか、耳が聞こえにくくなるなど、長く病に悩まされました。

こうした自身の経験をきっかけに医学への関心を深め、病と向き合いながら医学を学び続けたといわれています。

『鍼灸甲乙経』とは

皇甫謐が医学を学ぶなかでまとめたのが、『鍼灸甲乙経(しんきゅうこうおつきょう)』です。

中国・西晋の時代に成立した全12巻の医学書で、当時伝わっていた『素問(そもん)』『鍼経(しんきょう)』『明堂孔穴鍼灸治要(めいどうこうけつしんきゅうちよう)』などをもとに、鍼灸に関するさまざまな知識を整理しました。

カラダをめぐる経脈やツボの位置、そのツボが用いられるカラダの状態、お灸や鍼による治療法などが詳しく記されています。

『鍼灸甲乙経 12巻』(京都大学附属図書館所蔵)

なかでも興味深いのが、お灸についての記述です。さまざまなカラダの状態に対して、どのツボにお灸を用いるのかが記され、ツボによってはお灸を何壮行うかについても記されています。今からおよそ1700年前には、すでにツボとお灸についての知識が整理されていたことがわかります。

また、ツボの位置や名前についてもまとめられており、後の時代に鍼灸の知識を伝えていくうえで大切な役割を果たしました。

その影響は中国だけにとどまらず、日本にも及びました。701年に制定された「大宝律令」の医療制度では、医師を育てるために学ぶ書物のひとつとして『鍼灸甲乙経(しんきゅうこうおつけい)』が取り入れられたとされています。

後世に伝えた数々の書物

皇甫謐は医学だけでなく、歴史や人物についても研究し、多くの書物を残しました。

歴代の帝王についてまとめた『歴代帝王世紀(ていおうせいき)』をはじめ、世俗を離れて生きた人物を紹介した『高士伝(こうしでん)』や『逸士伝(いっしでん)』、女性たちの生き方を記した『列女伝(れつじょでん)』、自身の文章をまとめた『玄晏先生集(げんあんせんせいしゅう)』などを著したとされています。

医学から歴史、文学まで幅広い分野で学問を深めた皇甫謐。その知識を数々の書物として後世へ伝えた人物として、今もその名が残されています。

まとめ

皇甫謐がまとめた鍼灸の知識は、長い時を経て日本にも伝わりました。今も親しまれているお灸。その歴史の礎を築いた人物のひとりが、皇甫謐なのです。

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