お灸を知る・使うせんねん灸 moxaブログ

2023.08.18

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鮎の道


かの食の巨人 北大路 魯山人は1920年代、東京に開いた料亭 星岡茶寮に自身が「鮎は和知川の鮎が日本一」と太鼓判を押した京都丹波の和知川でとれた鮎を、木桶(おけ)に入れて生きたまま、東京まで運んだそうです。

香魚と呼ばれる鮎は食べるまで生かしておくことは、ずっと昔からの常識でした。
周囲を山に囲まれた京都には、保津川、上桂川、和知川、美山川と鮎で知られる川がいくつもあり、どの川からも生きた鮎が京都に運ばれていたのです。

とれたての鮎を最短の距離で京都まで運ぶ道のひとつ、今も「鮎の道」と呼ばれている道があります。
丹波から山あいを縫い、愛宕山の山すそをたどり、京をめざす道。鮎の季節ともなると「鮎持ち」と呼ばれる男衆が一つの桶に50~60の鮎を入れて、天秤棒で木桶を2つかつぎ、かけ足で京都に向かったのです。

「鮎の道」には3~4キロ毎に、山あいから湧き出る冷たい山の水が流れおちる水場があり、そこで水を替え鮎を元気づけながら京都へと走りました。
こうして香魚と呼ばれる鮎は、元気なまま京都へと届けられたのでした。

水場が残る「鮎の道」は、今ではハイキングコースとなっています。
京都の食文化を今に伝える「鮎の道」。
今はヒグラシの鳴声が夏の終わりを告げています。

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