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2026.11.02

「飛火野」かの道長が興じた「打毬」のフィールド


広大な奈良公園のなかでも、奈良観光の主役、天然記念物の「鹿」の聖地とされてきた「飛火野」

━飛火野(とびひの)とは
春日大社の境内に広がる、甲子園球場のグラウンド約8.5個分、11ヘクタールもの芝生の丘陵です。
飛火野の名は、かつてここには通信のために烽火(のろし)を上げる烽火台があったことに由来するとされています。そのために見通しがよく開けた野原が維持されてきたのです。

古代、飛火野は宮中の神聖な祭祀の場でしたが、やがて広く開放的な美しい丘陵は、貴族たちにとって春の若菜摘みに始まり、季節を楽しむ場でもあり、また乗馬などを楽しむところでもあったのです。

━道長が大いに楽しんだ「打毬(だきゅう)」
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」
で知られる平安時代の最強権力者。

藤原道長はこの広大な飛火野の芝生で馬にまたがり、中国から伝えられた、紀元前のペルシャで生まれ、一時はオリンピック種目にもなった「ポロ」競技とルーツを同じにする「打毬」をとても楽しんだことが伝えられています。

宮中行事として、また貴族たちが「蹴鞠」とともにしばしば興じた「打毬」とは、馬に乗った数人ずつの二組が、地面に散らばった布や皮でつくられた毬を、手にした「毬杖(ぎっちょう)」と呼ばれるスティックの先につけられた網ですくい、決められたゴールに入れることを競う競技。

後にヨーロッパでは「king of sports」と呼ばれ、貴族のスポーツとされた「ポロ」とは、そのルーツが同じとされるだけによく似ている「打毬」を、1300年も昔、飛火野では道長をはじめ貴人たちが楽しんでいたのです。

━飛火野を守る熟練のガーデナー
奈良時代、「神山」とされた御蓋山(みかさやま)の麓に、国家繁栄を祈願して、また藤原氏の氏神として春日大社が創建された時から、奈良の鹿は神さまの使いとして「神鹿」と呼ばれ、群れのまま人との交わりのなかで生きてきました。

ただ、神鹿は芝生を食料とすることで、平安貴族たちの生活の場でもあった飛火野の美しい芝生を、年中、熟練のガーデナーの手によって刈り込まれたかのように手入れしてきたのです。
その秘密は、神鹿を取り巻く見事な自然のサイクルでした。

━神鹿(しんろく)が運んできた宝もの
芝生を食料とする鹿のコロコロしたフンは、コガネムシの仲間のフンムシによって分解され、地中へと運ばれていきます。
そしてフンは、土の中の微生物の働きで発酵・分解され、フンムシの子育ての食料となり、最後には再び肥沃な土にかえり、芝生の肥料となります。

鹿を取り巻くこの素晴らしい自然のサイクルは、1300年も前から飛火野では維持されてきたのです。
今、1200頭にもなった奈良の鹿。

しかし、この鹿を取り巻く自然のサイクルは、飛火野だけでなく、その何十倍も広い奈良公園全域にまで広がっています。

長い年月にわたり、美しい環境を守り続けてきた奈良の鹿。
これぞまさに「神鹿」と言われる由縁なのです。

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