お灸事典
お灸の記録


灸箸(やいとばし)とは
昔、お灸で用いられていた道具のひとつです。
箸のような形をしており、もぐさを挟んで皮膚に据えるために使われました。
当時のお灸は、現在のように台座のあるお灸とは異なり、もぐさを直接皮膚の上に置いて火をつける方法が一般的でした。そのため、火のついた大きなもぐさをそのまま据えると熱を感じやすく、灸箸はもぐさを扱いやすくし、据える位置や火加減を調整するための道具として重宝されました。

灸箸の素材
素材には主に桃の木が用いられました。桃は古くから魔除けや邪気を祓う力があると信じられており、とくに三月三日の桃の節句に選んで採るなど、素材選びそのものに意味が込められていました。
どんど焼きと灸箸
また地域によっては、小正月の行事であるどんど焼きと結びついた風習も見られます。どんど焼きは、正月に用いたしめ縄や門松などを焚き上げる行事で、各地で古くから行われてきました。その際に使われた竹を用いて灸箸を作り、お灸をすえる習わしが伝えられている土地もあります。

『日用灸法』

『灸法口訣指南(きゅうほうくけつしなん)

所蔵:京都大学附属図書館
文献にみる、灸箸づくり
安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した医師・曲直瀬玄朔(まなせ げんさく)の著した『日用灸法(にちようきゅうほう)』によれば、東に伸びた桃の枝を三月三日に採取して作った箸が最良とされています。
また、江戸時代中期の医師・岡本一抱(おかもと いっぽう)による、鍼灸の入門書として重要な書物『灸法口訣指南(きゅうほうくけつしなん)』五巻には、三月三日に東向きの桃の枝を切り落とし、粗皮を削ってしばらく枯らしたものを用いて灸箸をこしらえると記されています。本草学の考えでは、桃の木には邪鬼を除く力があるとされ、灸箸の素材として重んじられてきました。
一方で、竹箸を用いる例もありますが、竹は新旧を問わず火に近づけると油がにじみ出るため、灸には適さないとされています。桃の木についても、新しいものは湿り気が多いため、十分に年月がたち、よく乾いた材ほど良いとされており、素材の性質を見極める知恵がうかがえます。
絵巻物に描かれた灸箸の姿
国宝であり、平安時代末期に制作されたとされる絵巻物『病草紙(やまいのそうし)』の一場面「小舌の男」や、南栄四大家の一人・李唐が描いた『灸艾図(きゅがいず)』などには、灸箸を用いてお灸をすえる様子が描かれています。
これらの絵画資料は、当時のお灸の道具や施術の所作を具体的に伝える、貴重な手がかりとなっています。
灸箸ひとつをとっても、昔の人々はお灸にとって何がよいかを考え、素材や作る時期にも心を配って作っていたそうです。



