お灸事典
お灸を愛した偉人

戦国を支えた医師、曲直瀬道三
曲直瀬道三(まなせ どうさん/1507–1595)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した医師で、「日本医学中興の祖」と称される人物です。
京都の地に生まれ、日本最古の学校・足利学校で学びました。そこで医師・田代三喜と出会い、医学の教えに触れたことが、道三が医の道へと深く進む転機となりました。

曲直瀬道三 肖像画(Wikimedia Commons)
足利義昭の侍医(じい:将軍のそばで診療にあたる医師)を務め、毛利元就や織田信長といった戦国大名の診療にあたりました。さらに、豊臣秀吉が大坂城を築いた後には、その主治医として迎えられ、高い信頼を得ていました。

『脈論』(京都大学附属図書館所蔵)
道三の医学の特徴は、方薬(漢方薬)・鍼・灸を併せて用いる総合的な医療にありました。当時広く学ばれていた医学の教えを土台としながらも、日本の風土や人々の体質に目を向け、舌や顔色、脈や腹の状態を丁寧に診る。そして、必要に応じてお灸や鍼を用い、身体を整える治療を行いました。
お灸は、身体を温め、日々の調子を整える手当てとして重視されました。戦乱の続く時代、心身の緊張が常であった武将たちにとって、お灸は身体を立て直すための大切な養生法でもあったのです。
道三の医療は、病を治すことと同時に、日々を生き抜く力を支えるものでした。
医術を伝える学びの場
道三は、医師として高い名声を得た後も、その技と考えを自らの内に留めることなく、医術を後世へ伝えることに力を注ぎました。京都に設けた医学の学びの場には多くの門人が集い、道三のもとで医の道を志す人々が育っていきます。
この学び舎で重んじられたのは、書物の知識だけではなく、実際の診療を通した学びでした。患者の身体に触れ、その変化を感じ取りながら、一人ひとりに向き合う姿勢を養うこと。漢方に加え、お灸や鍼についても、実践を通して伝えられていました。

『啓迪庵日用灸法』(京都大学附属図書館所蔵)
お灸は、未病を防ぎ、養生の一環として行われる手当てとして伝えられていたとされています。こうした教えは、病に向き合うだけでなく、日常の中で身体をいたわるという考え方を育むものでした。
道三の教育によって培われた医の姿勢は、門人たちを通じて受け継がれ、お灸が人々の暮らしの中に広まっていきました。

『啓迪集』(京都大学附属図書館所蔵)
書物に記されたお灸
道三は、多くの医学書を著し、その医療観を後世に伝えました。なかでもとくに知られているのが、天皇にも献上されたと伝えられる『啓迪集(けいてきしゅう)』です。
『啓迪集』は全八巻からなり、道三の代表的な書物とされています。この書では、病気を一つひとつ丁寧に整理し、病名やその成り立ち、原因、あらわれる様子、診断のしかた、見分け方、今後の見通し、治し方までを順序立てて解説しています。そのうえで、一人ひとりの状態に合わせて、漢方やお灸や鍼を使い分けることの大切さが示されています。
また、『鍼灸集要』や『指南鍼灸集』、といった書物も残されており、これらの中にもお灸に関する考え方や用い方が数多く記されています。道三が、お灸を医療や養生に欠かせない手当てとして重視していたことが、こうした書物からもうかがえます。

『鍼灸集要』(京都大学附属図書館所蔵)
道三は一人ひとりの身体と向き合い、漢方やお灸や鍼を用いた医療と養生法で人々の命と暮らしを支えました。その医療に対する姿勢は、後の日本医学とお灸文化へと受け継がれています。



