お灸事典



伊勢貞丈『貞丈雑記 4巻』[1],写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2565150 (参照 2025-04-23)
「薬玉(くすだま)」とは
「薬玉」は、昔、宮中で5月5日の端午の節句に、邪気をはらい、長寿を願って飾られていました。
はじまりは、蒼朮(そうじゅつ)というキク科の薬草の根茎を乾燥させたものを、お灸の原料である「もぐさ」で包み、網に入れて吊るしたもの。そこに青・赤・黄・白・黒の五色の糸を垂らしたものとされています。
やがて時代とともに形が変わり、麝香(じゃこう)や沈香(じんこう)などの香料を入れた香り袋になり、お灸の原料である「よもぎ」や菖蒲を添え飾られるようになりました。さらに、香りを造花で包んだ、鞠型の「薬玉」へと変化していきました。
五色の糸には、古代中国の五行思想に基づいた意味が込められており、薬草の香りと色の力で災いから身を守ると信じられていたのです。
「薬玉」のはじまり
「薬玉」は、もともと中国から伝わった風習で、『荊楚歳時記(けいそさいじき)』には、“五月五日 長命縷(ちょうめいる)”として記されています。長命縷とは、端午の節句に用いる飾り物で、五色の糸で作られ、腰や腕に身につけるもの。これが、「薬玉」のルーツとされています。
日本には平安時代に伝わり、宮中では柱や几帳(きちょう)、壁などに「薬玉」を飾ったり、身につけたりする風習が広まりました。『蜻蛉日記(かげろうにっき)』、『枕草子』、『源氏物語』などの平安文学にも登場し、当時の人々にとって身近な存在だったことがうかがえます。

渓斎英泉『十二ケ月の内 五月 くす玉』,蔦屋吉蔵. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1304720 (参照 2025-04-23)

現代に受け継がれる「薬玉」のかたち
今では、「薬玉」を端午の節句に飾る風習はあまり見かけなくなりましたが、その華やかさや、邪気を払うという意味合いは、さまざまなかたちで受け継がれています。
たとえば、女子の健やかな成長を願う晴れ着や、祝い着に描かれた薬玉文様。また、運動会や式典のセレモニーでおなじみの「くす玉」も、ルーツは「薬玉」だったのです。
薬玉に使われる薬草「よもぎ」
「薬玉」に欠かせない薬草のひとつがお灸の原料である「よもぎ」。「よもぎ」はその強い香りと生命力で厄除け、魔除けの植物としても親しまれてきました。さらにヨーロッパでも悪魔払いの魔法の草として知られ、世界各地で重宝されてきました。
お灸や草餅、お茶、お酒に使われるほか、入浴剤や化粧品、虫よけ、草木染めの材料としても活用される「よもぎ」。何千年も前から人々の暮らしに深く関わってきたその存在には、先人たちの智恵に触れる、奥深い魅力を感じます。



3月3日はひな祭り
桃の花もほころぶ春3月。「ひな祭り」に欠かせない「ひし餅」が供えられるようになったのは江戸時代から。


ひな祭りの由来
ひな祭りのひな(雛)とは、本来「ひいな」と読み、小さな紙でつくった人形のことです。
平安時代、貴族の子女たちには、この小さな紙の人形で遊ぶ、「ひいな遊び」が人気でした。
この「ひいな遊び」の人形と、中国から伝えられた宮中の行事である3月3日の上巳の節句(じょうしのせっく)におこなわれていた紙のひとがた(人形)に厄災を託して川に流す上巳の祓(じょうしのはらえ)がひとつになり、後に女の子の成長を願う「ひな祭り」になったと伝えられています。
そしてこの上巳の節句には、宮中では香りが邪気はらうとされる草をつき込んだ草餅を食べる風習がありました。
草餅から「よもぎ餅」
平安時代の草餅は、春の七草のひとつ御形(ごぎょう)とよばれる母子草(ははこぐさ)をつき込んだものでした。
今日食べられている、甘い小豆餡の入った草餅ではなかったのです。
室町時代頃になると、母子草は母と子を一緒につき込むようだからよくないとの声もあり、また古来から邪気をはらう力が強いとされ、香りも良い「よもぎ」をつき込むようになりました。
そしていつしか草餅は「よもぎ餅」と呼ばれるようになったのです。


ひな祭りが盛んになった江戸時代
江戸時代になると、ひな祭りは宮中の行事から民間にひろがるとともに、女の子の誕生を祝う行事となりました。
「ひし餅」は、邪気をはらい強い生命力を持つとされる「よもぎ餅」を縁起のよい菱形にしたのがはじまりです。
そして、繁殖力の強いひしの実をつき込んだ白餅が加わりました。
女の子の初めての節句には「上下青、中白」(青は「よもぎ餅」)の三枚の「ひし餅」を重ねて供え配る」と、江戸時代後期の生活辞典『守貞謾稿(もりさだまんこう)』に記されています。
やがて明治時代になり、くちなしで染めた魔除けの色とされる「紅」が加えられ、今日の桃色、白、緑の「ひし餅」になったのです。
「ひし餅」の形が生まれたのは
この「ひし餅」の形が菱形になったのは、古来中国では縁起のよい形とされてきたひしの実の形からきています。
ひしの実には固い殻で鋭いトゲがあることから、災から守る魔除けの働きがあるとされてきました。
その形の由来には他にもいくつかの説がありますが、共通しているのは、「ひな祭り」というお祝いの行事にふさわしく、「ひし餅」にも災いをなくし健康を願うという気持ちが込められているということです。
「ひし餅」の緑は健康、白は子孫繁栄、長寿、赤は魔除けを表しています。
女の子の成長を祝い、末長い幸せを願う「ひな祭り」。
古来、魔除けの働きがあるとされてきた「よもぎ」は、「ひし餅」のルーツとして、今も「ひし餅」の中で大切な役割をになっているのです。



桑の木の弓と成長して硬くなった「よもぎ」の茎で作った矢で、紙に描かれた丸い的を射る「水的の神事」。群馬県富岡市の一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)において毎年1月3日に行われます。

貫前神社とは
貫前神社の歴史は古く、社伝によると西暦531年、古墳時代に創建され、延喜式神名帳には名神大社としてあげられる古社なのです。
水的の神事
貫前神社の祭神の一柱である姫大神は、養蚕、機織り、水源の神様。
江戸時代の延宝8年(1680)には行われていた「水的の神事」は、新しい年を迎え、今年の豊作を願い、稲作に欠かせない水が、必要な時に必要な量が届くことを願い、農事用水の多い、少ないを占う神事なのです。
よもぎの矢と桑の弓
「水的の神事」に使われるのは、古くから邪気を払うとされてきた「よもぎ」と、樹皮、葉、根、実のすべてが薬用として使われ「特別の木」と呼ばれてきた桑。
この日の神事のために「よもぎ」の茎から作った矢と、桑の枝で作った弓が用意されます。


水的の神事の定め事
1月3日、神殿での祭典が終わると、「水的の神事」は古式に従って行われます。
「水的の神事」は、夏の日照りで水が欲しい時に行われる雨乞いの神事と異なり、1年を通して農作に必要な安定した水の供給を願います。
矢が的の真ん中に当たると大雨になるとされているため、的の中心に当たる矢の本数と的をはずした矢の本数のバランスが求められるユニークな定め事もあるのです。
天然の自然な「よもぎ」と桑を使って奉製された弓矢は不安定で制御が困難なため、まさに当たるかどうかは運しだい。
水的神事スタート
境内に設けられた紙に描かれた的に向かって神職2人が、「よもぎ」の矢を1人2本ずつ、2回に分けて計8本の矢が放たれます。
神事の様子を、初詣に訪れた人々は一射ごとに一喜一憂しながら見守ります。
そして、すべての矢が放たれた後、今年一年の水量予測を発表するのが、数百年つづく一之宮貫前神社の初春の神事なのです。




フーチバー
丼からはみ出さんばかりに盛られた「フーチバー」。
「フーチバー」は沖縄では「よもぎ」のこと。なかでも沖縄そばに「よもぎ」は欠かせないのです。
「フーチバー」とは
病気を意味する「フーチ」と、葉を意味する「バー」をあわせた呼び名を「フーチバー」といいます。
栄養素豊富な「フーチバー」は「病気を治す薬草」として古くから食べられてきました。
「フーチバー」は「よもぎ」の種類としては、「ニシヨモギ」。西日本から沖縄にまで分布していますが、沖縄では野菜として売られています。

「フーチバー」は野菜
沖縄では「フーチバー」に限らず食べられる野草はすべてカラダに良いものとして積極的に食べる習慣があります。
なかでも「フーチバー」は一般的な「よもぎ」に比べ、さわやかな香りと苦味が少なく、生食もできるので、家庭料理には欠かせない野菜なのです。

「フーチバー」の味わい方
「フーチバー」の若葉を入れた炊き込みご飯「フーチバージュシー」に、また沖縄を代表する「ヒージャー汁(ヤギ汁)」の臭みを押えるために薬味としても使われます。
そして沖縄そばのお店では「フーチバー」を好きなだけトッピングできるお店もあります。
甘辛く味付けした豚の三枚肉がのった「沖縄そば」には「フーチバー」をたっぷり。
まず熱い「沖縄そば」にのせた「フーチバー」の香りを、そして食べすすめるに従って、くたっと味のしみた「フーチバー」を楽しむ、それが「フーチバー」の味わい方。
沖縄では欠かせない薬味であり、野菜、そして薬草でもあるのが「フーチバー」なのです。



布の小さな袋の中に、ドライフラワーやハーブを入れて、袋からながれてくる自然の穏やかな香りを楽しむもの。
決して強い香りではありませんが、部屋に置くとフッと香りが伝わってくるのがサシェなのです。
「よもぎ」のサシェとは
サシェは、部屋の中で香りを楽しむだけでなく、クローゼットに吊るしたり、シューズボックスに入れたりすると「よもぎ」の防臭、防虫、殺菌など多くの働きで、衣装やシューズを守ってくれます。
また、枕元に置くと、優しい香りが眠りを深くしてくれるのです。

よもぎは
「よもぎ」には多くの種があり、世界に約250種、日本にも約30種あるとも言われています。
世界中どこでも育つ生命力豊かな「よもぎ」は、古くから人々の暮らしと密接な関係がありました。
ローマ時代には、兵士が「よもぎ」を靴の中に入れると足が疲れないとし、中国では乾燥させた「よもぎ」やハーブを入れた枕を「薬枕」と呼び、リラックスタイムに導くとされてきました。
「よもぎ」の香りは、ヨーロッパでは邪気を払うとされ、また「ハーブの母」とも呼ばれ広く利用されてきました。

日本でも「よもぎ」は、身近な万能薬として、切り傷の止血をはじめ、漢方薬では乾燥「よもぎ」を「艾葉(がいよう)」と呼び、生薬として利用してきました。
さらに、乾燥「よもぎ」を粉砕し、ふるいにかけて作られる「もぐさ」は、2000年以上も前からお灸に使われてきました。「よもぎ」のあの香りは「よもぎ」が外敵や雑菌から身を守るために身につけたもので、乾燥させてもその働きは続くのです。
正倉院の匂い袋
校倉造りで知られる奈良正倉院には、その御物の中に「小香袋」があります。
1000年をはるかにこえた時間の中で、「よもぎ」が入っていたかはさだかではありませんが、漆塗りの箱の中に衣装や大切な書物などと一緒に防虫剤、芳香剤として入れられてきた「小香袋」が、ずっと大切な御物を守ってきたのです。
今では世界最古の匂い袋とされています。


春一番に芽を出す「よもぎ」の若葉を使ったよもぎ餅は、その香りで春を知らせる食べものとされてきました。
今では、餅につき込まれた「よもぎ」の豊かな香りと、包まれた餡のほどよい甘さで、一年中ひろく人気のある食べ物となっています。
アイヌ民族にとって「よもぎ」は、この世に最初に登場した草と言われてきました。
その強い香りは、邪気を払うといわれています。
よもぎ餅のルーツ
古代中国では3月3日の上巳(じょうし)の日に、「よもぎ」と同じキク科のハハコグサを餅につき込んだ草餅を食べる習慣がありました。その香りで疫病除けとしたのです。
平安時代になるとこの習慣が日本に伝えられ、3月3日に草餅を日本でも食べるようになりました。
その後、室町時代に入る頃から、「よもぎ」がその香りの強さと緑色の鮮やかさで、ハハコグサに変わり草餅の材料として使われるようになりました。
ご当地のよもぎ餅
「よもぎ」は餅との相性がよく、餅につき込まれることが多いことから、「もち草」の名もあるほど、今では全国各地によもぎ餅があります。
岩手県の「よもぎまんじゅう」、熊野本宮(和歌山県)の「釜餅」、熊本県の「ふつもち」、鹿児島県の「かしゃもち」など、その名前だけでなくご当地らしさを盛り込んだよもぎ餅がいくつもあるのです。
春一番に芽を出し香り高く春を知らせてきた「よもぎ」は餅と出逢うことで、よもぎ餅となり、今では日本のソウルフードとなっているのです。
宗 懍 著、荊楚歳時記、東洋文庫、1978年02月、246p
稲垣栄洋 著、身近な雑草のゆかいな生き方、草思社、2003年07月、303p