お灸を知る・使うせんねん灸 moxaブログ

2023.12.07

ブログ

幸せの「雪」


「雪」は日本の自然の美しさを語るコトバとして、秋の「月」春の「花」とあわせて「雪月花」と呼ばれてきました。
そこに共通するのは、月が欠け、花が散り、雪が溶けても、時がめぐると再びよみがえってくることです。

生々流転(せいせいるてん)、自然の営みの中で再び生れてくるひと時のきらめきを、美しいものの象徴ととらえてきたのは、同じように自然の営みの中に我が身を置いて生きてきた日本人ならではの感性でもあるのです。

美しいものとされてきた雪は、その一方で、雪国の生活にとっては決して歓迎されるばかりではありません。

江戸時代後期、新潟県塩沢(現南魚沼市)生れの俳人鈴木牧之(すずきぼくし)(1770年- 1842年)は、雪国ならではの暮らしを活写した名著「北越雪譜(ほくえつせっ ぷ)」を残しています。

その牧之の俳句に「音もなく香もなく雪の降日哉」があります。
ただ、静かに日がな一日降り続く雪は、やがて家をすっぽり包むすさまじさを静かなコトバで詠んでいるのです。

冬方の気圧配置が続くと日本列島の太平洋側は晴天となり、日本海側はくる日もくる日も雪が降り続きます。
降り積もった雪の世界記録は、日本海側と太平洋側の気候の境界に位置する伊吹山頂で1927年観測された11m82㎝とされています。その雪の深さは、雪尺と呼ばれる目盛りのついた3mの白い柱を継ぎ足し、継ぎ足して測ったといわれています。

その一方で、山に降った大雪は春を迎えると、農作業に欠かせない豊富な水となって田んぼを潤すことから、雪は豊穣のしるしと歓迎してきたのです。
風に舞う雪、静かに降る雪、差し出した手袋の上でキラキラする雪。雪にはどこか心を温かくするチカラが宿っているかのような気がします。

「雪」は「幸」と同じ読み方。
クリスマス、お正月と続く12月。
幸せを届けてくれる雪も待たれているのです。

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