お灸のふるさと『近江』
とことこ散歩
お灸のふるさと 近江を歩く
「近江高島」
琵琶湖の西岸に広がる「近江高島」は、古くから水上交通の要所として栄えてきた歴史あるまちです。
織田信長の甥・織田信澄が築いた大溝城跡や、『万葉集』にも詠まれた勝野の地にある乙女ヶ池など、まちの中にはさまざまな時代の面影が残されています。さらに歩みを進めると、静かに並ぶ鵜川四十八体石仏群、そして琵琶湖の中に朱塗りの大鳥居が立つ「白鬚神社」へ。紫式部をはじめ、古くから多くの旅人や歌人も行き交った高島の地。
琵琶湖の風を感じながら、歴史と文化が息づく近江高島を、てくてく散歩してみましょう。
お灸をしょう
ガリバーメルヘン広場
近江高島駅を降りると出迎えてくれる、大きなガリバー
その由来は昭和62年(1987)に開設された「ガリバー青少年旅行村」にあります。『ガリバー旅行記』の世界をモチーフにした施設で、その玄関口となる近江高島駅前にもガリバーの像や時計台がつくられました。
駅前に残るガリバーは、そんな高島のユニークなまちづくりの名残りです。
アクセス
大溝城跡(おおみぞじょうせき)
近江高島駅から歩いてほどなくすると見えてくる「大溝城跡」。
大溝城は、天正6年(1578)、織田信長の甥にあたる織田信澄(のぶずみ)によって築かれました。城の縄張り(設計)には、明智光秀の娘婿・明智秀満(ひでみつ)が関わったとも伝えられています。
大溝城の大きな特徴は、琵琶湖や内湖、水路を巧みに利用した「水城」であったこと。城の周囲には水がめぐり、琵琶湖の水運を利用して船で行き来することができたと考えられています。
当時、琵琶湖は人や物資を運ぶ重要な交通路。大溝は湖上交通と陸上交通が交わる場所でもあり、信長にとって重要な拠点のひとつでした。
しかし、天正10年(1582)に本能寺の変が起こると、織田信澄もその直後に命を落とします。その後、大溝城の城主はたびたび替わり、築城からわずか数十年ほどで城としての役目を終えました。
現在、城の建物は残っていませんが、天守台の石垣がかつての面影を今に伝えています。
城がなくなった後も大溝の歴史は続きます。元和5年(1619)には分部氏が大溝藩を治めるようになり、陣屋を中心とした城下町として発展しました。
今も残る石垣や町並みを眺めながら歩くと、琵琶湖のほとりに城があった頃の風景が浮かんでくるようです。
アクセス
乙女ヶ池(おとめがいけ)
大溝城跡から少し歩くと、穏やかな水辺が広がる「乙女ヶ池」があります。
現在は静かな池ですが、かつては琵琶湖につながる内湖で、「香取の海(かとりのうみ)」と呼ばれていたと伝えられています。
この周辺には、古代の港「勝野津(かちののつ)」があったと考えられ、古くから琵琶湖を行き交う人や物を運ぶ、水上交通の要所でした。
この一帯の「勝野」は、『万葉集』にも登場する歴史ある土地です。池のほとりには万葉歌碑が建てられています。
“何処にか 我は宿らむ 高島の
勝野の原に この日暮れなば”
「日が暮れてしまったら、高島の勝野の原で、私はいったいどこに泊まろうか」といった意味の歌です。
現在のように道路や鉄道が整っていなかった時代、この地を旅した人が日暮れを迎えたときの心細さが伝わってくるようです。
時代が進み戦国時代になると、この豊かな水辺を利用して大溝城が築かれ、乙女ヶ池は城を守る天然の堀として、また水運にも生かされたと考えられています。
古代には人々が行き交う水辺として、戦国時代には城を支える水辺として、長い歴史を見つめてきた乙女ヶ池。
現在は朱色の太鼓橋が架かり、四季折々の自然を楽しめる穏やかな風景が広がっています。
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鵜川四十八体石仏群(うかわしじゅうはったいせきぶつぐん)
白鬚神社へ向かう途中、山裾にひっそりと並ぶ「鵜川四十八体石仏群」があります。
木々に囲まれた静かな場所に、同じような姿をした石仏がずらりと並ぶ光景は、どこか神秘的です。
この石仏群は、室町時代後期の天文22年(1553)、近江の戦国大名・六角義賢(ろっかくよしかた)が、亡き母の菩提を弔うためにつくらせたものと伝えられています。
その名の通り、もともとは48体の阿弥陀如来像が並んでいました。一体一体は花崗岩でつくられ、高さはおよそ1.6メートル。500年近い時を経た今も、穏やかな表情でこの地にたたずんでいます。
実は現在、ここに並んでいる石仏は48体ではありません。
江戸時代、13体の石仏が大津の慈眼堂へ移されたため、鵜川には33体が残されているといわれています。
「48体なのに、なぜ33体?」と数えてみるのも、この場所ならではの楽しみのひとつ。
長い年月の風雨を受けながら静かに並ぶ石仏を眺めていると、戦国の世を生きた人々の祈りが、今もこの場所に残されているように感じられます。
アクセス
琵琶湖(びわこ)
歩いていると、目の前に広がる琵琶湖。
日本最大の湖・琵琶湖は、見る場所や時間、天候によって水面の色や表情を変え、対岸に連なる山々とともに美しい景色を見せてくれます。
古くから人や物を運ぶ水上交通の舞台となり、近江の人々の暮らしや文化を支えてきた琵琶湖。
湖から吹く風を感じながら、雄大な景色を眺めてひと休み。
琵琶湖とともに歩んできた近江の歴史に思いを馳せながら、てくてく歩きます。
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近江最古の白鬚神社
琵琶湖の中に立つ朱塗りの大鳥居で知られる「白鬚神社」。
約2000年前に創建されたと伝わり、近江最古の神社ともいわれています。湖中に立つ大鳥居の姿から「近江の厳島」とも呼ばれ、「白鬚さん」「明神さん」の名で古くから親しまれてきました。
琵琶湖とともに長い歴史を刻み、多くの人々の信仰を集めてきた、高島を代表する古社です。
■人々を導く神「猿田彦命」
御祭神は、猿田彦命(さるたひこのみこと)。
日本神話で神々を道案内したことから「導きの神」とされ、白鬚神社では延命長寿をはじめ、縁結び、子授け、開運招福、学業成就、交通安全、航海安全など、さまざまなご利益があるとされています。
「白鬚」という名前からも長寿の神として親しまれ、人生の道をより良い方向へ導いてくれる神様として、今も多くの人が参拝に訪れます。
■豊臣家ゆかりの本殿
白鬚神社の見どころは、湖中の大鳥居だけではありません。
現在の本殿は慶長8年(1603)、豊臣秀吉の遺命を受けた豊臣秀頼が、家臣の片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として造営したものです。
そのことは本殿に残された棟札からも確認されており、桃山時代の神社建築を今に伝える貴重な建物として、国の重要文化財に指定されています。
大鳥居に目を奪われがちですが、参拝の際には400年以上の歴史を刻む本殿にも注目です。
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琵琶湖に浮かぶ朱塗りの大鳥居
白鬚神社を象徴するのが、琵琶湖の中に立つ朱塗りの大鳥居です。
実は、湖中大鳥居が最初に建てられた正確な年代はわかっていません。神社に伝わる縁起には、古くから鳥居が湖水の増減によって見え隠れしていたという伝承が残されています。
広い琵琶湖を背景に静かに立つ大鳥居は、時間や天候によってさまざまな表情を見せます。
朝の光、青空、夕暮れ――。
水面の色とともに刻々と変化するその姿は、長い年月にわたり人々を魅了してきました。
■紫式部も眺めた高島の琵琶湖
白鬚神社のある高島は、古くから多くの旅人が行き交った土地でもあります。
『源氏物語』の作者として知られる紫式部もそのひとりです。
父・藤原為時とともに越前国へ向かった際、高島を通ったとされ、その旅の途中で琵琶湖の風景を詠んだ歌を残しています。
”三尾の海に 網引く民の てまもなく
立居につけて 都恋しも”
「三尾の海」は、現在の高島周辺の琵琶湖を指すと考えられています。
湖で網を引く人々の姿を眺めながら、遠く離れていく都を恋しく思う紫式部。
千年以上前、紫式部も目にした高島の琵琶湖。その水辺の風景が、今も目の前に広がっています。
■歌人たちが心を寄せた白鬚神社
境内には紫式部の歌碑をはじめ、松尾芭蕉の句碑、与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑などが残されています。
時代は違っても、多くの歌人や旅人がこの地を訪れ、琵琶湖の風景に心を寄せてきました。
歌碑をたどりながら境内を歩いてみるのも、白鬚神社の楽しみ方のひとつです。
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季節のメモ
秋のお彼岸の頃になると、鮮やかな赤い花を咲かせる彼岸花。大溝城跡でも、石垣のそばに咲く彼岸花に出会いました。歴史を感じる城跡を彩る、秋ならではの風景でした。
高島へ
JR近江高島駅へ




























