お灸を知る・使うせんねん灸 moxaブログ

2019.02.15

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天使突抜

千年の都 京都にはふしぎがたくさんあります。
天使突抜通(てんしつきぬけどおり)という地名もそのひとつ。
天使突抜一丁目から四丁目までが存在します。
1
794年平安遷都によって京の街が開かれた頃、この天使突抜通りのあたりには今、五条天神宮と呼ばれている神社が創建されました。童謡に♪京の五条の橋の上、牛若めがけて弁慶が。とうたわれている若き日の源義経と弁慶の出逢ったのはこの五条天神宮であったと「義経記」に記されるほど古社なのです。五条天神宮はたびたびの戦火で今では境内もせまく、マンションに囲まれるように立っていますが、かつては東西四丁、南北五丁という広大な境内だったのです。
2
戦国時代、豊臣秀吉公によって京の街は積極的都市開発がすすめられました。
南北に何本ものまっすぐな道路が開かれたのです。
そして、その道路の一本がなんと五条天神宮の境内を突抜けることになりました。
いくら太閤さんとはいえ「天使の宮」と地元の人に親しまれてきた神社の中に道路をつくるというやりかたに街の人は皮肉をこめて、この道路を天使突抜と呼ぶようになりました。
通りの名前としては今では「東中筋通」という名前はあるのですが、今も天使突抜の地名は生きているのです。

太閤さんの都市開発はその基本となるまっすぐの道路のために京都には他にいくつも突抜町という地名が残るほどの大掛かりなものだったのです。
今このあたりは外国人目当ての民宿がいくつも出来ています。
日本人ですら説明をきいて、やっと理解できる天使突抜はどう映るのでしょうか。

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