お灸を知る・使うせんねん灸 moxaブログ

2022.06.10

ブログ

与謝蕪村


与謝蕪村は、松尾芭蕉、小林一茶と並びたつ江戸時代の俳諧三大巨人にあげられており、私たちにもなじみの名句がいくつもあります。
  なの花や 月は東に 日は西に
蕪村は1716年、大阪の今の淀川と大川の分岐点のあたり、毛馬閘門で知られる毛馬村で生まれました。

ゆるやかに流れる淀川の堤防に生誕の地の碑が立っていますが、かつて淀川のこのあたりは綿花や菜種の栽培が盛んで春ともなれば、どこまでも見わたすかぎり、なの花で黄色く埋めつくされていたのです。
蕪村は晩年「余、幼童之時、春色清和の日には必ず友と此堤上にのぼりで遊び候」と記している通り、「なの花や・・・」の俳句は彼の記憶の中に鮮明に刻み込まれた幼時期の体験から生まれたのです。

俳人蕪村のもうひとつの顔、それは俳画を確立したことでした。
早くから画業にも強い関心のあった蕪村は27才の時、敬愛する松尾芭蕉の俳諧の心を知るべく芭蕉の「奥の細道」をたどり東北を旅しました。その時、蕪村は行く先々で宿代の替わりに多くの絵を残していることでも蕪村の絵の才能は並々ならぬものがあったのです。
そして40代になると京に住み、あちこちの寺院で多くの古典を目にして、いっそう絵にも力を入れ、画家としても知られるようになり、やがて俳句に絵を入れる独自の俳画を完成させたのです。
その集大成が、芭蕉の奥の細道を書き写し、そこに自身のみちのくの旅の印象を思いうかべ挿絵を入れた「奥の細道図絵」。
今では国の重要文化財になっています。
蕪村の俳句には状景が目にうかぶ句が多いのも時代をこえて人々の心をひきつけているのです。
  牡丹散りて 打ちかさなりぬ 二三片
  さみだれや 大河を前に 家二軒

ページの最初に戻る