お灸を知る・使うせんねん灸 moxaブログ

2018.05.11

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やまやま

yamayama
“世の中に 山てふ山は多けれど山とは比叡のみ山という”
百人一首で知られる鎌倉時代の歌人慈円にうたわれた通り、平安から鎌倉にかけてすでに比叡山はひろく知られた山でした。
9世紀、最澄・空海によって中国から密教が日本に伝えられ、最澄は比叡山に空海は高野山に寺院を開いたことで山岳密教がはじまりました。

ほどなくして比叡山は三塔十六谷、三千坊といわれるほどの山全体が寺院で埋めつくされました。一方高野山も標高800メートルの山頂の台地を中心に全山が寺院といわれるほどになり、最澄の比叡山、空海の高野山はともに地元の人々からは「お山」と親しみとあこがれをこめて呼ばれてきたのですが、なかなか地元の人には訪れる機会はなかったのです。

今、欲しいのはやまやまだけどとか、見たいのはやまやまなどと使われるこの“やまやま”というコトバは実はこの比叡山や高野山へ行きたいと思ってもなかなか行けないというどうしょうもない気持ちをあらわすことばのなかの「山々」だけがひとりあるきして今に残っているのだとか。

比叡山は京都の街のどこからでも見ることができる山です。
周囲を山に囲まれた京都は東山三十六峰に始まり、北山西山と山また山が街をつつむように位置していますが、その中で比叡山は高さでこそ西にそびえる愛宕山にゆずるとしても、街に近いこともあって春の若葉の頃、夏の緑、秋の紅葉、冬の雪景と季節季節の移り変わりを常に映し出し、一日の中でも比叡山に雲がかかるとやがて雨などと、とても身近な存在。京の人にとっては比叡山は今も「お山」そのものなのです。

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